戦争を経験した沖縄
1945年、大平洋戦争がようやく終結しましたが、沖縄県は文字通り焼け野原となっていました。激戦の中を生き延びた県民にとって、生きる要素「衣・食・住」は勿諭、全ての面で物不足どころか飢えていました。お酒は贅沢な嗜好品であり、簡単に手に入る代物ではありませんでした。危険を承知でメチルアルコールに手を出して、光を失い、さらには命まで落とす人さえ出る始末。
学校の教師を辞めて泡盛づくり
このような状況を見て心を痛めた比嘉寅吉は「これでは沖縄は大変な事になる。一日も早くちゃんとしたお酒を造って世に出さなければばならない」と思い、学校の教師を辞め、「安心で安全な泡盛を作る」という理念のもと未知の世界である泡盛造りに日夜邁進しました。
残波の誕生
そして終戦から3年が経った1948年、アメリカ民政府から酒造免許を取得し、念願の第1号泡盛「マルタカ」(○の中に高=地元・高志保にちなんで命名)の販売を開始。さらに、年月を経た1980年、主要銘柄である「残波」を誕生させました。残波シリーズは地元沖縄県はもとより、日本全国・世界中の多くの方々にご愛飲頂いております。これからも創業者~比嘉寅吉の理念を胸に、より良い泡盛“残波”造りに努力・精進致して参ります。