
嘉永から続く大和桜酒造の歩み
嘉永年間(1848~1854年)に創業した大和桜酒造は、鹿児島県いちき串木野市に位置し、日本三大砂丘の一つである吹上浜の北端という恵まれた環境で焼酎造りを続けています。
東シナ海と山々に囲まれた地形がもたらす清らかな地下水、温泉、温暖な気候など、焼酎造りに理想的な自然環境に恵まれた土地柄は、鹿児島県内でも焼酎蔵が多く集まるエリアとして知られています。

現在の蔵は、かつての焼酎ブーム時に道路拡張のための区画整理で移転を余儀なくされたもの。そのため、5代目蔵元の若松徹幹氏は「焼酎ブームの繁忙期を味わうことができなかった」と、ユーモアを交えて語ります。
関東の国立大学を卒業後、大手広告会社でアルコール企業を担当していた徹幹氏は、先代から蔵を継ぎ、自称「鹿児島県で一番規模が小さい蔵」を一人で切り盛りしています。経営、事務、製造、営業と全てを担う姿は、まさに「スーパー営業マン」の名にふさわしい情熱と行動力に溢れています。
マーケターの視点 広告マンが継ぐ焼酎蔵こだわりの製造工程

若松徹幹氏は関東の国立大学を卒業後、大手広告会社に勤務し、大手アルコール会社を担当した経験を持ちます。その後、先代から蔵を継ぎ、経営、事務、製造、営業と全てを1人で取り仕切るという驚異的な活躍を見せています。
広告業界で培った鋭い感性とマーケティングの知識を焼酎造りに活かし、商品開発のコンセプトからラベルデザインに至るまで、独自の世界観を作り上げています。

私にとって東京で開催された焼酎イベントでの初対面時のエピソードは印象的です。
コロナ禍前のハイボールブームの最中、焼酎の炭酸割りを提案するため、鹿児島から自前の炭酸製造機を持参し、来場者に炭酸を目の前で作り、自社の焼酎で割って提供する姿は、「さすが広告会社の営業マン」と感心させるものでした。
その情熱と行動力は、焼酎業界に新風を吹き込んでいます。
独自のこだわりの製造工程

大和桜酒造の製造工程には、独自のこだわりが随所に見られます。まず米へのこだわりが特徴的で、タイ米を使用する蔵が多い中、国産米にこだわり、商品によってはコシヒカリやおいどん米など、厳選した品種を使用しています。
1回の仕込みで150キロの米を使用し、移築した伝統的な麹室や石蔵で白麹を使った蓋麹製法を実践しています。
蒸し器にも特徴があり、一般的な焼酎蔵で使用されるドラム式ではなく、先代から使い続けているセパレート式の円柱蒸し器を使用。
均一に蒸すことよりも「蒸米のほつれやノイズを大切にし、ユニークな酒質になることを信じて」製造しているという哲学が伺えます。

仕込みの工程では、1次、2次ともに甕仕込みを行い、これらの甕も前の蔵から移築されたものです。甕の持つ風合いや味わいが安定した造りにつながると若松氏は語ります。
2次仕込みには750キロの芋を使用し、毎日農家から届く芋は若松氏自らが検品、洗浄、処理を行うという徹底ぶり。
自らを「イモ洗いは社長、事務は社長、インスタは熱心。基本ワンオペ仕込」と表現する姿に、広告マン出身らしいセンスの良さと、製造への情熱が垣間見えます。
独創的な商品開発とデザイン

大和桜酒造の商品構成は、若松氏のマーケティング感覚が光る「縦軸と横軸」で構成されています。縦軸には米の品種(コシヒカリと国産米)、横軸には芋の品種(コガネセンガン、紅芋)を配置し、シンプルながらも多様な味わいを実現しています。特に紅芋を使用した焼酎は、若松氏が推進する炭酸割りのために特別に開発されたもので、甘酸っぱいブドウのような香りが特徴です。若松氏おすすめの飲み方は、アルコール度数7%に調整し、焼酎も炭酸もしっかり冷やして割るというもの。
瓶の色やラベルにも若松氏の芸術的センスが発揮されています。瓶の色を戦略的に使い分け、斬新さと伝統的な頑固さを表現。ラベルデザインにも趣向を凝らし、スタンダードな大和桜の文字は、ブラックニッカのデザインでも知られる大高重治氏によるもの。さらに前掛け風のラベル、字体を切り抜いたラベル、ネームラベルなど、視覚的にも楽しめる工夫が随所に見られます。
こうした伝統と革新のバランスを取りながら、若松氏が一人で全てを担う大和桜酒造。小さな蔵ながらも、その独創的な焼酎と情熱的な姿勢は、幅広い層からの支持を集め続けています。
大和桜酒造の会社概要
会社名 | 大和桜酒造株式会社 |
代表者 | 若松徹幹 |
代表銘柄 | 大和桜、大和桜 紅芋、ヤマトザクラヒカリ |
創業 | 創業嘉永年間(1848~1854年) |
住所 | 鹿児島県いちき串木野市湊町3丁目125番地 |
電話 | 0993-36-2032 |
ウエブサイト | https://yamatozakura.com/ |