ウイスキーのロックや水割り、ハイボール。ウイスキーは誰もが知っているお酒でしょう。しかし、「ウイスキーの歴史」はご存知でしょうか?
普段なにげなく口にしているウイスキーの歴史には、人々の思いやミラクルエピソードが隠されています。ウイスキーの歴史を知れば、いつも飲んでいるウイスキーが今よりもっと楽しめること間違いなし!
ここでは、ウイスキーの歴史をひも解いて解説していきます。
ウイスキーの歴史の年表
西暦 | 出来事 |
紀元前2000年頃 | メソポタニアのバビロニア人が蒸留技術を生み出す。 |
700年代 | 中東で蒸留アルコールの精製 |
1172年 | イングランド王ヘンリー2世の記録が存在?「命の水(アクアヴィテ)」の記載 |
1200年代 | イタリアでワインからアルコールを蒸留 |
1405年 | アイルランド「クロンマクノイズ年代記」に「命の水」(ウイスキーの起源?)記載 |
1494年 | スコットランド王室財務記録に「アクアヴィテ」(ウイスキーの起源?)記載 |
~15世紀 | 薬用目的でアルコール蒸留がされる |
16世紀 | 宗教改革により蒸留技術が広がる |
1608年 | アイルランドに「オールド・ブッシュミルズ蒸留所」誕生? |
1644年 | スコットランド王室によるウイスキーの課税が行われる |
1707年 | スコットランドがイングランドに併合。「グレートブリテン王国の誕生」 |
1725年 | ウイスキーに対する課税の強化。「密造時代」の始まり |
1775年~1783年 | アメリカ独立戦争。通貨の代わりにウイスキーが取引されることがあった。 イギリス植民地のアメリカで「アメリカン・ウイスキー」が考えられる |
1791年 | アメリカの酒税の追加により「ウイスキー税反乱」が起きる。 ケンタッキー州、テネシー州で「バーボン・ウイスキー」が生まれる カナダで「カナディアン・ウイスキー」が始まる |
1820年代 | インド初の蒸留所が誕生(19世紀、イギリス領インド帝国にスコッチウイスキーが運ばれる) |
1823年 | イギリスの法改正。スコットランドの密造時代が終わる。 |
1824年 | スコットランドに「グレンリベット蒸留所」創業(イギリス政府公認第1蒸留所) |
1826年 | スコットランドで「連続式蒸留器」が発明される |
1830年 | 「グレーンウイスキー」誕生 |
1831年 | 「カフェ式蒸留」が発明される。(安価で効率的なウイスキー蒸留の確立) |
1853年 | アンドリュー・アッシャーによる「ブレンデッド・ウイスキー」の考案 |
1853年 | 日本に黒船来航。幕府役人や通訳にウイスキーが振舞われる |
1860年 | スコットランド法改正。ウイスキーの混合が許可され「ブレンデッド・ウイスキー」が誕生。 |
1861年 | 日本における、在日外国人向けウイスキーの輸入あり。 |
1860年~1880年 | フィロキセラ病害虫の発生により、フランスのワイン、ブランデー産業の壊滅 |
1866年 | アメリカ南北戦争終了。「ジャック・ダニエル蒸留所」建設 |
1871年 | 日本における、日本人向けウイスキーの輸入あり。 |
1918年 | 日本人、竹鶴政孝がスコットランドへ留学。ウイスキー蒸留を学ぶ。 |
1920年~1933年 | アメリカ禁酒法。医者処方のウイスキーは認可される |
1923年 | 日本初、モルトウイスキー蒸留所(山崎蒸留所)建設開始 |
1929年 | 日本で国産第1号「サントリーウヰスキー白札」販売 |
1934年 | 竹鶴政孝が日本における本格的スコッチウイスキーを目指し、「余市蒸留所」設立。「ジャパニーズ・ウイスキー」の始まり。 |
ウイスキーの起源
ウイスキーの起源は、蒸留アルコールの歴史と結びついています。蒸留アルコールの精製が生まれたのは8世紀~9世紀、イスラム黄金期の中東。病気治療のための薬として修道院などで作られていたようです。
その後のアルコールの蒸留についての最古の記録は、12世紀のものとなっています。呼び名はラテン語で「命の水(アクアヴィテ)」と書かれていました。
ウイスキーは、蒸留アルコールの歴史のなかで生まれたと考えられています。しかし、起源については2つの説があり、いまだに決着がついていません。「アイルランド説VSスコットランド説」という構図です。
アイルランドの記録にウイスキーと思われるものが登場するのは、17世紀に書かれた「クロンマクノイズ年代記」。「1405年の首長の死因は、クリスマスに命の水を暴飲したからだ」と書かれています。
一方、スコットランドの記録では、1494年の王室財務記録に「修道士に麦芽を与え、アクアヴィテを造らせた」という記載があります。
どちらも「命の水(アクアヴィテ)」のことが記されていますが、残念ながらこのどちらの文献も正確かどうかの裏付けが難しく、正解を導き出す手立てにはなりません。
確かなのは、飲みすぎたり、国を挙げて造られるほど、ウイスキーはみんなに愛されていたということです。
イギリス麦芽税による密造時代
始めは薬として造られたウイスキー。当時は無色透明のお酒でした。では、なぜ現在のウイスキーは琥珀色をしているのでしょうか?ウイスキーの色や香りには、密造時代のびっくりエピソードが結び付いています。
1536年の宗教改革により、修道院が解散になります。行き場を失った修道士たちは生活費を稼ぐため、人々にウイスキーの造り方を教えました。これにより、ウイスキーは農民や一般市民にも広がります。
ウイスキーが大きく変わったのは、1700年代です。1707年、スコットランドはイングランドに併合され、グレートブリテン王国(イギリスの前身)ができました。
戦争続きで財政が厳しかった国は、1725年、ウイスキーやビールの原料となる麦芽に重税を課します。すると、スコットランド人たちは大反発。地下や山の中でこっそりウイスキーを造り始めます。
人々はシェリー酒の空き樽に、造りたてのウイスキーを入れて保存しました。しかし、しばらく経ったあと樽から出したウイスキーは、透明ではなく琥珀色!飲んでみると、味はまろやかで香りも豊かになっていたというミラクルが起こります。
この出来事がウイスキーの熟成という考えを生み、現在のウイスキーの姿が形づくられました。
独立戦争からアメリカン・ウイスキーが始まる
ウイスキーにはいくつもの種類があります。アイリッシュウイスキーやスコッチはその代表。さらに忘れてはならないのが、個性的な味わいを持つ、「ライ・ウイスキー」や「バーボン・ウイスキー」などのアメリカン・ウイスキーの存在です。
独立戦争中のアメリカでは、ウイスキーは通貨の代わりに取引されるほど、一般的で需要の高いお酒でした。しかし、アメリカでは、大麦を原料にウイスキーを造るにはコストがかかる上に、輸送も不安定。
そこで、生産がさかんになっていたライ麦を原料とするウイスキーが考えられます。これが、「ライ・ウイスキー」です。
1791年、独立戦争後のアメリカでは、国庫を補うためウイスキーに高い税がかけられました。これに反発する人々は「ウイスキー税反乱」を起こします。
また、ウイスキー造りをしていた人々は重税から逃れるため、政府の管轄外であったケンタッキー州やテネシー州、カナダへ逃れました。
ケンタッキー州へ逃れた人々は、手に入りやすいトウモロコシを原料にしてウイスキーを造りました。これが、「バーボン・ウイスキー」です。
また、カナダへ逃れた人々もウイスキーづくりを広げました。「カナディアン・ウイスキー」の始まりです。
グレーン・ウイスキーの開発からブレンデッド・ウイスキーが誕生
「グレーン・ウイスキー」という名前を聞いたことはありますか?実は、グレーン・ウイスキー単体では、あまり飲まれていません。しかし、ウイスキーが人々の手に届きやすくなったのは、グレーンウイスキーのおかげなのです。
1826年、スコットランド人のロバート・スタインが、ウイスキーの連続蒸留器を発明しました。これをアイルランド人のイーニアス・コフィーが改良。1831年にカフェ式蒸留器が誕生します。
連続蒸留器ができたことで、より効率的にウイスキーが造られるようになりました。また、原料も大麦だけでなく、トウモロコシや小麦などの穀類を使うことで価格を抑えることにも成功します。こうして連続蒸留器で造られるようになったのが「グレーン・ウイスキー」です。
グレーン・ウイスキーは、他のウイスキーと比べると風味がやさしく、サイレントスピリッツと言われます。一方、伝統的な方法で作られるモルト・ウイスキーは香りが強く、個性的です。
この2つのウイスキーをブレンドすることで、穏やかな風味の「ブレンデッド・ウイスキー」を仕上げました。
しかし、アイルランド人にとって、ウイスキーは伝統的なモルト・ウイスキーの一択。グレーン・ウイスキーも、ブレンデッド・ウイスキーもアイルランドでは受け入れられませんでした。
一方、スコットランドでは広く受け入れられ、生産も増加します。また、穏やかな風味のブレンデッド・ウイスキーは、誰からも好まれイングランドにも広がります。
これが、スコットランドの地酒に過ぎなかったウイスキーを世界に広げるきっかけとなりました。ブレンデッド・ウイスキーがスコッチと呼ばれる由縁は、ここにあります。
日本でジャパニーズ・ウイスキーが生まれる
世界中で愛され、造られているウイスキー。ウイスキー文化研究所によると、日本にはウイスキー蒸留所が30か所もあります。
もしかしたら、見学に行ったことがある方もいるかもしれません。この背景には2人の日本人が関わっています。
日本に初めてウイスキーが伝えられたのは、1853年。ペリーとともに黒船に乗ってやってきました。日本人向けにウイスキーが輸入されたのは明治維新後の1871年。庶民にとって輸入ウイスキーは、高級品で手の届かない異国のお酒でした。
明治時代、日本では薬問屋が、外国製のアルコールに砂糖や香辛料を混ぜて作った、ウイスキーらしきもの(模造ウイスキー)を販売していました。
日本のウイスキー造りが始まるのは明治末期から大正時代にかけて。ここで登場するのが、鳥井信治郎と竹鶴政孝です。
竹鶴政孝は、ウイスキー造りを学ぶため、1918年にスコットランドへ留学。鳥井信治郎は、竹鶴を蒸留技師として招き、1923年に日本初のモルト・ウイスキー蒸留所である山崎蒸留所の建設を始めます。
そして、日本初の国産ウイスキー「サントリーウヰスキー白札」(現在のサントリーホワイト)を発売しました。1929年(昭和4年)の出来事です。
その後、竹鶴政孝はさらに本格的なスコッチ・ウイスキーの生産を目指し、余市蒸留所を作ります。ここから、ジャパニーズ・ウイスキーは発展していきました。
現在、ジャパニーズ・ウイスキーの評価は高く、世界中から注目を集める存在にまで成長しました。中国やアメリカへの輸出額も年々増加しています。
まとめ
ウイスキーは、時代の流れや人々の動きとともに変化してきたお酒。歴史の中で、人々は何度もウイスキーを守ろうと試行錯誤し、その姿や味を変化させてきました。
そんな人々の熱い思いが今のウイスキーにつながっています。これからも発展し続けるウイスキーに目が離せません!
偶然が生んだ魅惑的な色と香りのウイスキーを、今日はどんな風に味わいますか?爽やかにハイボール、ゆっくりと味わうロックや水割り。寒い時には身体を温めるホットウイスキーもおすすめです。